Robert Schumann のピアノ曲演奏と楽しみ方

作曲家の室谷章さんのピアノ音楽のページ(リンク先は WebArchive)と同氏とのメールのやりとりから、生まれてきた一文です。 室谷章さんに深謝いたします。

室谷章さんは、高校時代に、恩師から、シューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化 作品26」を弾くにあたって、「上声部、中声部、低声部を別々に暗譜しなさい。」と指導を受けたそうです。

各声部別々に暗譜云々と指導されたのは、秦はるひ先生という方で、私が学生時代、東京芸大とその附属高校でピアノの指導をされていた方です。(室谷 章 さんからのメールより)

私なりに解釈すると、上声部、中声部、低声部のそれぞれに、別々のメロディがあって、それらの掛け合いをうまく表現しないと、この曲の美しさを表現できないということだと思います。 ピアノを習った方なら、バッハインベンションの三声を想像なさっていただけると、わかりやすいでしょう。 私も、Robert Schumann の曲を練習していたときに、先生から、「Bach だと思って、さらっていらっしゃい。といわれたことがありました。 しかし、私には何のことやらわかりませんでした。 ピアノの練習をやめて、数年たってから、Karl Engel や Jörg Demus の演奏を聴いたときに初めて、「Bach だと思って、さらっていらっしゃい。といわれた意味がわかりました(十を聞いて一を知る n’Guin です。 まぁ、(Pe)n’Guin は鳥ですから、鳥頭なのはしょうがないことではありますが)。

「なんでロマン派の音楽にバッハの技法が?」と思われる方も多いことでしょう。 初期ロマン派という言葉や CD/LP のライナーノートなどで「ほとばしる青春の思い」とか「あふれでる感情表現」なんてキャッチフレーズをよく見かけるので、そんな風に思われるのかもしれません。 確かに、Robert Schumann は初期ロマン派の作曲家に位置づけられ、多くのピアノ作品は、古典派の作曲家のモーツァルトやベートーベンとは異なり、ソナタ形式をとることなく作成されています。 初期ロマン派という言葉のイメージのためだと思いますが、Robert Schumann の音楽というと、感情の赴くままに書かれている・演奏されているかのような誤解を生じている場合が少なくありません。 しかし、実際には、Robert Schumann は、J.S. Bach の技法を非常によく研究して、それを自分の作曲に生かしていました。 非常に緻密な和声の組み立て過程があります。 この意味では、Robert Schumann は、J.S. Bach に似ているといっても、過言ではありません。

シューマンの音楽って、かなり声部の入り組んだ書法を取っているので、 なんとも言えない味わいがある反面、聞き分ける(引き分ける)耳の力を 要求されると思うんですよ。
                          (室谷 章 さんからのメールより)

私の Robert Schumann の楽しみ方は、まさにこれなんです。 それぞれの和声のかけあいや、そのかけあいがかもしだすハーモニーを楽しむわけです。 このような味わいの良さを初めて具現化したのが、Robert Schumann だと思っています。 最近になってやっと気が付いたのですが、Anton Bruckner の最後期の作品にもそういう楽しみがあります。 「聞き分ける(引き分ける)耳の力を要求される」とありますが、これには、若干コツがあります。 コツとは、そういう姿勢のみえる演奏を聴くことです。 「何を当たり前のことを!」と言われそうですけど、そういう演奏は、意外に少ないのです。 例えば、交響曲のお勧め盤が Sawallisch / DSO なのは、こういったかけあいやハーモニーを容易に聞き分けることができる演奏だからなのです。

室谷 章 さんは2022年にお亡くなりになったそうです。 合掌。

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