Robert Schumann を徹底的にきらう人がいるのはご存じでしょう。 嫌いなら嫌いでいいんです。 誰にだって好き嫌いはありますから。 ただ、嫌いな理由をいろいろ挙げた挙げ句、無理解に基づく議論を展開している人をみると、可哀想になります。 それは、「私はピアノのことはわかってません」と自己宣伝しているようなものだから。
いろいろなケースがあるようですけれど、たいがいこんな場合が多いみたいですね。
1. 弾きにくいくせに響きが貧弱。 ピアノの響きに対して鈍感。
2. 教科書通りの和声を臆面もなく使う。
3. リズムが単調。 技巧も単調。
きゃ~! 怒らないでください。 ごめんなさい。 私が書いたんじゃないんです。 ネット上をさまよい歩けば、どこかで、こんな文章にぶつかるでしょうから。 他にもいっぱいありますよ。 例えば、「中学生が書いたポエム集みたい」とか・・・
閑話休題。 ここからが本題です。 先に上げた文を反面教師にしながら、Robert Schumann のピアノ曲の魅力について考えてみましょう。
弾きにくいけれども、響きは美しい。 ピアノの響きに対して繊細でないと、理解できないかもしれない。(by n’Guin)
たくさんの美しいピアノ曲を作った作曲家である、Chopin や Liszt と Robert Schumann とを比較すると、Robert Schumann の音の響かせ方の特徴がよくわかると思います。 ここでは、非常に都合のよい例があるので、譜面を使って説明しましょう。


上段は、Schumann の歌曲 Myrten から、Widmung の最初の一小節(ピアノ伴奏のみ、歌は始まっていない)です。 一方、下段は、先の曲をピアノ独奏用に Liszt が編曲した Liebeslied です。 青線で囲まれ、灰色で表現されている音符や記号は、MIDI での比較を同じ条件にするために、私 n’Guin が書き足したものなので、原盤にはありません。 もとが同じですから、Schumann と Liszt との比較をするには、都合がよいと思います。 違いはどこでしょうか。 私が着目しているのは、ペダリングです。
ピアノには、2~3本のペダルがありますが、右のペダルを踏むと、打鍵した音が、手を放しても出続けます。 赤丸で囲んだ記号は、右ペダルを踏む(手をはなしても音が出続ける)記号です。 一方、緑丸で囲んだ記号は右ペダルをはなす(よって、打鍵している最中の音以外は、音が切れる)記号です。 上段の Schumann の方は、一小節の間でいったんペダルをはなして、再度踏ませる指定になっていますが、下段の Liszt の方は、一小節踏みっぱなしです。
下段の Liszt の方が豪快に聞こえます。 上段の Schumann の方の魅力は何でしょうか? 音がクリアで濁らないので音の流れがスムーズなことです。 Liszt の方は、ずっとペダルを踏みっぱなしなので、打鍵された音がすべて残ります。 ペダルを踏みっぱなしで同じ音を何度も打鍵し続けると、うなり音のような濁りが出てきます。 これは、位相が違う同周波数の音が混じるためです。(高校あたりの物理の問題ですね。) さらに悪いことに、左手の最終音の G#(ソのシャープ)の直前でペダルを切ってしまうため、それまでは、ペダルでずっとつなげられていた音が一瞬のうちにとぎれて、ペダルなしの音になってしまうため、ピアノの音の響き方が一瞬、変わってしまうことです。 そのため、大げさに言うと、全体の曲の流れが一瞬、止まってしまうように感じます。 (念のために書いておきますが、この Liszt の解釈が悪いといっているのではありません。 より、豪快に聞こえさせることが、彼の持ち味なのです。 Schumann との違いを際だたせたいだけです。)
上段の Schumann の方は、下段 Liszt 流の欠点はありません。 音の響きはクリアで、その進行もなめらかです。 そのかわり、豪快さに欠ける感触は否定できないかもしれません。 実は、ここが、ポイントなのです。 Schumann の音の響かせ方は、Chopin や Liszt などの他の音楽家と大きく違うのです。 ピアノの音そのものの美しさをいかに聴かせるかが、Schumann の最初の出発点だと考えていただくとわかりやすいでしょう。 ピアノの音のそのものの良さ – – – 単音の音の持つ美しさ – – – を際だたせた上で、和音を構成していく。 ここを理解できないと、「Schumann は、音の響かせ方が悪い。ピアノの響かせ方に対して鈍感だ。」という意見が出てくるだと思います。
例えば、「ピアノの音は、音域によって響きが異なる。 従って、Schumann は、同じフレーズを音域を変えて提示する場合には、その音域にふさわしく音の組み合わせを模索すべきであった。」なんて意見も同じ誤解でしょう。 同じフレーズが音域を変えて提示されているのなら、異なる響きの美しさを、聴衆に与えられるように、演奏すべきなのです。 作曲家によって、持ち味が違うのは当たり前ですから、それを生かせるように演奏すべきだと、私は考えます。 ちゃんとヒントは楽譜に書いてあるのですから。 そういった演奏家の違いをきちんと表現できるのが、演奏家の最低限の条件だと思います。 もちろん、この意見を他人に押しつける気は毛頭ありません。 あくまで、私の基準です。 厳しいことを言うようですが、こういう観点で、世に出ている CD/LP 録音を吟味すると、著名なピアニストの演奏でも、はっきりX印の演奏がけっこう出てくるものです。
注釈: 元記事では MIDIファイルで、Schumann と Liszt の差を確かめられるようにしていたのですが、YAMAHA XG が使えなくなったために、音の差がわからなくなってしまいました。 後ほど何とかしたいと思います。

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