Robert Schumann の楽器は?

Chopin を象徴する楽器といえば、誰だって、Piano を思い浮かべることでしょう。 それでは、Robert Schumann の場合は何でしょう?

「やっぱり Piano だよ。」 確かに、Piano かもしれない。 作品番号の1番から 23 番までが全てピアノ曲で占められている。 そのピアノ曲のどれもが、満天の星のもとのすばるの輝きのごとく、きらめいている。 先の Chopin でさえ、一桁の作品番号のなかにピアノ三重奏がはいっている。 Robert Schumann は、最初にビルトオーゾ・ピアニストを目指していたぐらいだし、愛妻の Clara は、19 世紀を代表するピアニストだ。 Piano で決まりだよ。

「いやいや 声 だよ。」 Robert の作品が、ドイツリートの中で占める位置づけを忘れてもらっては困るよ。 確かに Schubert ほどの数は残していないけどね。 誰が何と言っても、やっぱり声だよ。

私 n’Guin の考えは、そのどちらでもありません。
「Robert の楽器は、頭(頭脳)だよ。」だと思っています。 世界的な Schumann 研究家の 前田昭雄氏や指揮者の Wolfgang Sawallisch 氏が、何かの記事で、同じようなことをおっしゃっていて我が意を得たりと感じたことに端を発しています。 今回は、「Robert の楽器は、頭(頭脳)」であることを示すために、ピアノ曲の楽譜を読みながら、見ていきたいと思います。

交響的練習曲 op. 13 より “Thema”

まずは、わかりやすい例から、始めましょう。 左図(Ex. 1)を見てください。 交響的練習曲(Symphonische Etüden op. 13)の最初のテーマの最後のところです。 赤丸で囲んであるクレッシェンドを見てください。 最後の音を引き終わってから、クレッシェンドが書いてあります

誰もが知っているように、ピアノの音を引き終わってから、その音を強くすることは、不可能です。 打鍵にわずかに遅れて、ペダルを踏むことで、響きを若干強めにはできますが、姑息的な手段で、しかも多くは望めません。 管楽器ならこういうことは容易ですが、鍵盤楽器でこういうことができるのはオルガンぐらいしかありません。 もちろん、交響的練習曲をオルガンでひくなんていうのは、ナンセンスです。 Robert は、音を出し終わってからも、気を抜かずに、音量がなくならないように、響かせるように、というつもりで、こう書いたのでしょう。

下記の例(Ex. 2)は、カーニバル(Carnaval op. 9)より、第8曲 Replique と第9曲 Pappilons との間にくる曲です。 「おいおい、n’Guin よ。 ついに狂ったか? 第8曲と第9曲の間に曲が入るはずない!」と言われそうです。 

      カーニバル op. 9 より “Sphinxs”

Die “Sphinxs” sollen nichit gespielt werden.
和訳すると、”Sphinxs” は演奏されるべきではないと脚注に書かれています。

”Sphinxs” は演奏する人の心の中でだけ鳴り響くことが求められている曲なのです。 どうですか。 あきれてものが言えないでしょう。

        フモレスケ op. 20 より

だめ押しといきましょう。 上記の例(Ex. 3)は、フモレスケ(op. 20)からです。 本当は、これが1ページ続くのですが、4小節の掲示でかんべんしてください。 まず、最初に大きな赤丸をみてください。 Innere Stimme (内なる声)と書いてあります。 

脚注がドイツ語で書かれており、「この内なる声は、いっしょに演奏されてはならない。 演奏家は、行間を読むがごとく、この内なる声を読まなければならない。」とあります。 要するに、心の中では、この音が鳴っているがごとく、演奏しなさい、という指定ということになります。 小さな丸の方は、最初の例と同じです。 既に弾いてしまった音に対して、デクレッシェンドが指示してありますが、これを実際にコントロールすることは、不可能です。

いかがでしたでしょうか。 今回は、できるだけ、わかりやすい例を取ってみました。 Robert Schumann にとって、ピアノ曲とは、ピアノの音で奏されるべき、頭の中の音楽だということの一端がおわかりいただけたのではないかと思います。 

上のような例だけをみると、ただの屁理屈のように思われるかもしれませんが、そうではありません。 知らない方はRobert Schumann は、J.S. Bach の Das Wohltemperirte Clavier(平均律クラヴィーア)を Clara と結婚後に研究したり、Fugue、Kontrapunkt(対位法)の研究したりして、自身の作品に生かしたことはよく知られています。 Düsseldorf 時代に、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(全6曲)と無伴奏チェロ組曲(全6曲)のピアノ伴奏部を作曲(1853年)したのも、J.S.Bach 研究の一例でしょう。 Robert Schumann が大好きな人にはぜひ聴いてみていただきたい曲です。

漢詩や俳句などで、韻を踏む表現というのがありますが、Robert Schumann の曲には、同様にリズムやメロディで韻をふんでいると思われる箇所が、多数あります。 こういう面白さは、楽譜を見ながら演奏を聴かないと、その面白さが理解できません。 もちろん、そういう楽しみ方も、ひとつの楽しみ方でしかありませんが、我々の Robert Schumann の音楽への理解を、また一歩進めてくれることは間違いないでしょう。

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