1840年3月、Robert Schumann は Liszt との面会・知遇を得るために、Dresden に出向きました。 そして、自身が創刊した Neue Zeitschrift für Musik(新音楽時報)で Liszt を取り上げ、その才能を絶賛したのです。
Florestan は、Franz Liszt の演奏が放つ圧倒的なエネルギーと巨大な力に目を奪われます。Liszt が一台のピアノから、まるでオーケストラのような壮大な音響を引き出すことに驚嘆し、ピアノに向かうその姿を、der Feldherr, der eine Armee anführt(軍隊を率いる将軍)と表現しました。そこには、既存のピアノ演奏の限界を突破し、一台の楽器から巨大な音楽世界を創り出す Liszt への、Florestan らしい熱狂的な賛嘆が表れています。
一方、Eusebius は、Florestan とは異なる角度から Franz Liszt の芸術を見つめます。どれほど困難なパッセージや超絶技巧を要求される作品であっても、Liszt はそれを軽々と、そして優雅に弾きこなします。Eusebius が注目したのは、技巧の華やかさだけではありません。その卓越した技巧を意識させることなく、繊細なタッチと美しい音色によって、音楽そのものを自然に浮かび上がらせる Liszt の芸術性でした。
そして Meister Raro は、Florestan の熱狂と Eusebius の詩的な眼差しを包み込むように、Franz Liszt の存在を音楽史的な視点から捉えます。Liszt の登場によって、ピアノという楽器の可能性そのものが大きく拡張され、ピアノ音楽の歴史に新しい時代が開かれた―― Robert Schumann は、Liszt をそのような唯一無二の才能として評価していました。 Robert の Liszt への賞賛は、Fantasie für Klavier(Op.17)を献呈したことからもわかります。
ところが、Robert Schumann の最愛の人 Clara Wieck は Franz Liszt をどう思っていたのでしょうか。 彼らの最初の出会いは 1838年でした。 Clara は父とWien に滞在し Kammervirtuosin(宮廷美技奏者)の称号を得ていました。 Clara は Robert にあてた手紙で、次のように書き送っています。
Gegen Liszt kommen mir doch alle Virtuosen so klein vor, selbst Thalberg, und mich –mich sehe ich gar nicht mehr.
Liszt と比べれば、どんな名手も、Thalbergでさえ、私にはちっぽけに思えてしまう。そして私自身――もう自分の姿など見えなくなってしまった。
しかしながら、Liszt もまた、楽譜に対して誠実でありながらも深い感情を宿した Clara の演奏を「真の芸術」として認め、自身の編曲作品などを贈り、彼女の才能を周囲に熱心に宣伝しました。 しかしながら、Clara Wieck の父であり、教師である Friedrich Wieck は、Franz Liszt の天才性を認めつつも、Clara に対して、Liszt の技術を学ぶのはよいが、不真面目な態度や演奏スタイルをまねてはならないと強く戒めました。
1841年12月、Leipzig で Robert and Clara Schumann と Franz Liszt は相次いで演奏会を開きました。 このときには Robert Schumann の交響曲第4番(1841年初稿)も演奏されましたが、不評に終わります。 Liszt の名人芸ばかりが目立つ結果となり、Clara の日記からも、内心忸怩たる思いを抱いていたことがうかがえます。 また、Liszt が作品を自らの演奏効果に合わせて編曲・改変する演奏慣行と、Clara が重視した「作品そのものへの忠実さ」との間には、次第に大きな隔たりが生じていきました。 Clara のピアニズムは、楽譜に記された作曲家の意図を尊重し、作品そのものを忠実に提示するという演奏理念として、弟子たちを通じて後世に受け継がれ、現代のクラシック演奏の基礎の一つとなりました。
Franz Liszt は、1848年6月に突然 Dresdenを訪れ、Schumann 夫妻に Robert の Quintett für Klavier, zwei Violinen, Viola und Violoncello(Op.44)を聞きたいと、急に連絡をよこしました。Clara は急遽、弦楽奏者を探しました。 しかし、Liszt は Richard Wagner を連れ、2時間遅れでやってきます。 そして、この曲を leipzigerisch(ライプツィヒ風:保守的で退屈だという皮肉を込めた音楽)と評しました。 さらに、Liszt はその後の夜会で Schumann夫妻の盟友である Felix Mendelssohn Bartholdy より Giacomo Meyerbeer を高く評価する発言をし、Robert は怒りを爆発させたといいます。 Robert と Liszt は、その後、書簡を通して再び関係を修復していきます。 その後、Liszt は Robert への敬意を失うことなく、1853年に完成させた唯一の Piano Sonata(Sonate für Klavier h-Moll, S.178)を Robert に献呈しています。
その一方で、Clara の Franz Liszt 嫌いは生涯続きました。 例を挙げれば、Liszt は Robert が結婚前夜に Clara に献呈した Widmung(Op.25-1)を、Liebeslied というタイトルで編曲・出版し、Clara を激怒させたからです。 Clara にとって、この編曲は Schumann の歌曲を原曲とは異なるヴィルトゥオーゾ的な演奏作品へと変貌させるものであり、彼女の美学とは相容れないものでした。 実際、Clara は Liszt の Piano Sonata の献呈について、これに感謝しなければならないことに「あまりにもひどすぎる」という趣旨の日記を残しています。
Robert and Clara Schumann 夫妻と Franz Liszt の微妙な関係は、ロマン派の歴史としてとらえると大きな意味を持ちます。 1859年、Leipzig で開かれた Tonkünstlerversammlung(音楽家集会)で、Franz Brendel は Neudeutsche Schule(新ドイツ楽派)を提唱しました。 彼は、Franz Liszt の Sinfonische Dichtung(交響詩)、Richard Wagner の Musikdrama(楽劇)、Louis Hector Berlioz の Programmmusik(標題音楽)を、Ludwig van Beethoven 以後の新しい音楽の発展として位置づけました。 彼は Robert Schumann が創刊した Neue Zeitschrift für Musik(新音楽時報)の編集長であり、Robert Schumann を過渡期の存在としてとらえ、その精神を発展させたのが、Franz Liszt や Richard Wagner であると主張したのです。
これに対抗して、Johannes Brahms、Joseph Joachim、Clara Schumann らは1860年、「新ドイツ楽派」の音楽観に異議を唱える声明をまとめました。 彼らは Neudeutsche Schule に対するマニフェスト(抗議宣言書)を作成し、大物たちの署名を集め、強力な反論を示そうとしました。 ところが、署名を集めている途中で文書がリークされ、嘲笑的に取り上げられてしまいました。そのため、このマニフェストは Brahms や Joachim らにとって大きな政治的失敗となりました。
このマニフェスト事件によって、Johannes Brahms らの立場は、むしろ劣勢に立たされることになりました。 その間、Clara Schumann はコンサート活動を通して、全ヨーロッパに Johann Sebastian Bach / Ludwig von Beethoven / Robert Schumann に加えて、若き Johannes Brahms の作品を浸透させます。 特に成功したのはイギリスで、経済的・国際的な後ろ盾を確保しました。 Wien では Eduard Hanslick が Richard Wagner を批判し続けました。 Johannes Brahms は Neudeutsche Schule からの批判の中で、1868年に Ein deutsches Requiem(ドイツレクイエム Op.45)を完成させ、大きな成功をおさめます。 この作品の成功によって、彼は単なる「若き Robert Schumannの後継者」ではなく、独自の音楽的地位を確立していきました。 Robert が 1853年に Neue Bahnen(新しい道)で、Johannes Brahms が合唱とオーケストラという大きな舞台で成功するという予言がやっと成就したのです。
現代の視点から振り返れば、Franz Liszt の交響詩や Richard Wagner の楽劇が発展させた「音楽と物語・映像的想像力を結びつける発想」は、後世の映画音楽やゲーム音楽にも通じるものがあります。一方、Brahms は古典的な器楽形式を受け継ぎながら、それを19世紀後半の音楽として新たに発展させました。そして Clara Schumann は、演奏家として Johann Sebastian Bach、Ludwig van Beethoven、Robert Schumann、Johannes Brahms らの作品をヨーロッパ各地に紹介し、近代的なクラシック演奏会の形成にも大きな役割を果たしました。
こうして見ると、Robert と Clara Schumann、Franz Liszt、Richard Wagner、Johannes Brahms らの関係は、単純な「保守派と革新派」の対立ではありません。 Robert は Liszt の革新的な才能を高く評価しながら、Clara は次第にその演奏美学と距離を置き、Liszt もまた Robert への敬意を失うことなく、後に Piano Sonata を Robert に献呈しました。
ロマン派音楽史とは、単純に「古い音楽」と「新しい音楽」が対立した歴史ではなく、互いに尊敬し、影響を与え合いながら、それぞれ異なる音楽の未来を描いた作曲家・演奏家たちの歴史だったのではないでしょうか。


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