Schumann の楽しみ方 〜 n'Guin 風 | (98/4/14 記) |
Schumann の音楽の楽しみ方は、さまざまです。 自分のことを考えてみても、楽しみ方はいろいろです。 おすすめの曲・女の愛と生涯を読んでいただくとわかりますが、私が歌曲を Elly Ameling で聴くときは、幸せ一杯モードというか、もう声を聴いているだけで満足で、すっかり、彼女の世界にひたってしまいます。 こういう楽しみ方ができるのは、非常に幸せです。
ところで、作曲家の室谷 章 さんのホームページのピアノ音楽のページによれば、室谷章さんは、高校時代に、恩師から、シューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化 作品26」を弾くにあたって、「上声部、中声部、低声部を別々に暗譜しなさい。」と指導を受けたそうです。
私なりに解釈すると、上声部、中声部、低声部のそれぞれに、別々のメロディがあって、それらの掛け合いをうまく表現しないと、この曲の美しさを表現できないということだと思います。 ピアノを習った方なら、バッハインベンションの三声を想像なさっていただけると、わかりやすいでしょう。 私も、Schumann を練習していたときに、先生から、「Bach だと思って、さらっていらっしゃい。」といわれたことがありました。 しかし、私には何のことやらわかりませんでした(トホホのホ)。 ピアノの練習をやめて、数年たってから、カール・エンゲルやイェルク・デームスの演奏を聴いたときに初めて、「Bach だと思って、さらっていらっしゃい。」といわれた意味がわかりました(十を聞いて一を知る n'Guin です。 まぁ、(Pe)n'Guin は鳥ですから、鳥頭なのはしょうがないことではありますが)。
各声部別々に暗譜云々と指導されたのは、秦はるひ先生という方で、私が学生時代、東京芸大と、その附属高校でピアノの指導をされていた方です。 (室谷 章 さんからのメールより)
「なんでロマン派の音楽にバッハの技法が?」と思われる方も多いことでしょう。 初期ロマン派という言葉や CD/LP のライナーノートなどで「ほとばしる青春の思い」とか「あふれでる感情表現」なんてキャッチフレーズをよく見かけるので、そんな風に思われるのかもしれません。 確かに、Schumann は初期ロマン派の作曲家に位置づけられ、多くのピアノ作品は、古典派の作曲家のモーツァルトやベートーベンとは異なり、ソナタ形式をとることなく作成されています。 初期ロマン派という言葉のイメージのためだと思いますが、Schumann の音楽というと、感情の赴くままに書かれている・演奏されているかのような誤解を生じている場合が少なくありません。 しかし、実際には、Schumann は、J.S. Bach の技法(特にカノン)を非常によく研究して、それを自分の作曲に生かしていました。 非常に緻密な和声の組み立て過程があります。 この意味では、Schumann は、J.S. Bach に似ているといっても、過言ではありません。
私のもうひとつの SCHUMANN の楽しみ方は、まさに、これなんです。 それぞれの和声のかけあいや、そのかけあいがかもしだすハーモニーを楽しむわけです。 この味わいは、他の作曲家では得られません。 「聞き分ける(引き分ける)耳の力を要求される」とありますが、これには、若干コツがあります。 コツとは、そういう姿勢のみえる演奏を聴くことです。 「何を当たり前のことを!」と言われそうですけど、そういう演奏は、意外に少ないのです。 交響曲のお勧め盤が Sawallisch / DSO なのは、こういったかけあいやハーモニーを容易に聞き分けることができる演奏だからなのです。
シューマンの音楽って、かなり声部の入り組んだ書法を取っているので、 なんとも言えない味わいがある反面、聞き分ける(引き分ける)耳の力を 要求されると思うんですよ。 (室谷 章 さんからのメールより)
みなさんの楽しみ方はいかがでしょうか? みなさんの楽しみ方を紹介していただければ、ここに掲載していきたいと思っています。
書き連ねてきたように、私には、Ameling で聴く幸せ一杯モードとそれとは全く対照的な楽しみ方があります。 我楽多箱・SCHUMANNの楽器って?でも、楽譜を見ながらでないとわからない楽しみに若干触れました。 いろいろな楽しみ方があるのは、うれしいことです。 一粒で二度おいしい(古い)・・・。