Fumoreske, Op. 20 (その3) | (01/07/22 記) |
さて、第三部以降は、どのような展開をしているのでしょうか。 第五部の v. Sehre lebhaft まで、進行形式(1) と進行形式(2) のからみ合いというスタイルは、変わりません。 よく、フモレスケに関して、「フモレスケにおけるフォルムが、終局が近づくにつれ弱まり、ついには失われる」とか「終局に至るまでの、あまりの冗長さ」などと言われることがありますが、私はそうは思いません。 終曲の vi. Zum Beschluへの過程は、進行形式(2) の発達の過程なのです。
iii. Einfach und zart
譜例1に示した vi. Zum Beschluの冒頭のモチーフこそ、進行形式 (2) の最終発展形だといってよいでしょう。 赤線部は、説明を要しないと思います。 楽譜を見ても気がつきにくいですが、最後の部分(青丸のところ)も、右手と左手にわかれているものの、短二度あるいは長二度になっています。 1オクターブ下がる展開と合わせられていますが、これこそ進行形式(2)の真骨頂だと思います。
譜例1
赤線部が、進行形式(2)(短二度あるいは長二度の進行)を示す。
青丸は、右手−左手と分かれているが、これまた短二度あるいは長二度の進行であることに留意。
赤丸は、5度の下降を示す。 青でしめしたVで、スラーが途切れていることにも注意したい。
さて、進行形式(2) の真骨頂であるモチーフは、どう展開していくでしょうか。 それは、譜例1の下段の最後の小節に示されています。 赤丸で示した、五度の下降調の「クララのテーマ」です。 そして、クララのテーマが、わざわざ、スラーの切れ目におかれていることにも着目してください。(譜例1のVに着目) 読み進めてきた方は、この曲の最初のテーマが、クララのテーマであったことをおぼえていらっしゃるかと思います。 vi. Zum Beschluに至って、やっと最初に戻るのです。 チクルスの輪がやっとここで完結したのです。 それも気まぐれなスラー((その1)の譜例1を参照)を、五度の鹿郷長の中に押し込めて、いっそう気まぐれになって。 だから、この曲は、Humoreske なのです。 (その1)の冒頭に書いたように、気分や機嫌が移り変わりが、この曲を一貫して流れるテーマなのです。
vi. Zum Beschlu
さて、やっとチクルスが完成した Zum Schulu自体も、最終部の Allegro で、それこそ「気まぐれ」に終了してしまいます。 この唐突さが、「フモレスケにおけるフォルムが、終曲が近づくにつれ弱まり、ついには失われる」といわれる所以だと思いますが、譜例2に示すように、これも進行形式(2) を利用しつづけているのです。 フモレスケにおけるフォルムは、モチーフではなくて、モチーフの進行のさせかた(ここでは進行形式と呼んでいますが、音楽用語ではありません。)にあるのです。 この意味で、ロベルトの意図は、あくまで一貫しており、終局が近づくにつれ、強調されるようになっていると私は考えます。
譜例2
赤線部が、進行形式(2)(短二度あるいは長二度の進行)を示す。
さて、お勧めの録音ですが、この曲は本当に難しいと思います。 なにしろ、「きまぐれ」弾かなければならない上に、モチーフの進行形式の一貫性をあらわにしないと、曲としての一貫性が保てません。 我が家にもたくさんの録音がありますが、ほとんどが、「きまぐれ」さの部分で失格のようです。 (その1)の譜例1の切れ目の部分でさえ、うまく弾けていない演奏が多いようです。 ほとんどの演奏が、我流にアレンジしただけの演奏だけで終わっています。 私の手元にある録音の中で、唯一おすすめできるのは、Freddy Kempf(W. Kempff とは、何の関係もない方のようです)による録音(BIS CD-960)です。 とにかく、聞いていて飽きませんし、きまぐれな良い演奏だと思います。 ちなみにカップリングは、Carnaval, Toccata, Arabesque になっています。
この曲を解析をしたおかげで、私が大好きだった某ピアニストへの熱(ひいきの引き倒し)がいっぺんでさめてしまったほどです。 おかげで冷静になれたというべきかもしれません。
切れ切れになっておりますので、この曲の構成について、別ページにまとめて示しました。