Robert Schumann の指の故障と死因の謎(4)

4. 答えは伝記のなかに

Düsseldorf で一番大きな本屋に行ったら、ちょうど、Manches geht in Nacht verloren — Die Geschichte von Clara und Robert Schumann (「多くのことが闇(夜)の中に消えていった — Clara & Robert Schumann 物語」とでも訳せば適当でしょうか。) という本が山積みになっていました。 出たばかりの本で、さっそく買ってきました。

Dr. Richarz は、交響的練習曲ではなくて、梅毒の症状に興味を持った。
(symphonische Etueden (交響的練習曲)と syphilitische Symptome (梅毒の症状)の似たような字面を用いたレトリック) 

病状の経過が、梅毒の末期症状としては、典型的でないからだ。 しかしながら、病状を列挙してみよう。 進行麻痺の初期症状、眼のかすみ、頭痛、嗜眠状態、けいれん、言語不明瞭(口の中でもぐもぐ言う)が認められ、縮瞳と瞳孔の左右差があって、梅毒に特徴的な瞳孔異常を認める(n’Guin 注:アーガイル・ロバートソン瞳孔)

以上から、脳底の異常は明白で、しかも現代の医者がいうゴム腫(n’Guin 注:梅毒第3期に見られる皮膚異常)がある。加えて、患者自身が(1831 年の日記にも書き残しているように)ヒ素を用いて治療したペニスの異常があった。

当然のことながら、Schumann の死の真相について、公式には、直接的な表現をさけている。 現代でもそうであるが、梅毒という言葉は、タブーであるし、名誉毀損、罪をきせること、センセーショナルなこと以外の何物でもない。 Dr. Richarz は、50 年間確実に秘密に保てるように、この有名な患者の病状を書き代えた・・・・。 

上記の訳は、1854 年に Robert が精神病院に入院したときの診察所見です。 梅毒に特徴的なアーガイル・ロバートソン瞳孔が見られることや、ゴム腫の存在から、Robert が梅毒であったことは明らかで、そのことがあからさまにならないように、Dr. Richarz が、病状を書き代えていたようです。 若干の書き換え例が載っていました。 しかし、その書き換えは、医者がみれば、それが何を意味するところは明白といって良い程度のものです。 医者以外の人が見ても何のことだかわからないでしょうけれど。 脳底髄膜炎と書いてあっても、一般の人たちには、それが神経梅毒を意味するとはちょっと思わないでしょう。 神経梅毒以外では、めったにおこらない病気なので、医者には神経梅毒のことだとすぐわかってしまいますが。 実際、ある伝記では、Robert の病状は、「一般的な麻痺(”Paralysis generalis”)、アルコールと性的放蕩による髄膜への浸潤による慢性的な髄膜炎、書痙、痴呆症」となっています。

いずれにしても、もはや、Robert が梅毒にかかり、それゆえ命をおとしたのは明白です。 1831 年に明らかに梅毒によると考えられるペニスの症状があって、同じ 1831 年に指の異常というのは、早すぎるとお考えの方は、するどい! おっしゃるとおりです。 それは、私が年表を作るときに参考にした本と、上に和訳を掲げている本が異なるためです。 ちなみに、上の本では、Robert が指の故障を訴えたのは、1833 年ということになっています。 そんなわけで、矛盾はないと思います。 どうやら、Robert の各種の身体・精神症状は、全て梅毒のためと考えてよいようです。

Clara は、混乱して泣き崩れ、途方にくれた。 尊敬すべき権威ある人や科学者や医者が、ありもしないことを予言しているといった具合に、やり場のない(無分別な、とも言えるだろう)態度をとった。 しかし、Bettina (Clara の友人)は、鉄仮面のように、首を横にふりながら、施設の収容者ではなく、医者も(n’Guin 注: あなたにそのことを言うべきかどうかを)迷っていたと話した。 Clara は、Dr. Richarz に、”誰もが、年寄り(Bettina のこと)のいうことを信じるものだ。”と、それだけを、ぽつんと話した。
                   (中略)
当然のことだが、Clara は、いくばくかの時の後に Robert が回復して、Bilker 通りの家に戻ってきてくれることを望んでいた。 Robert もまたそれを望んでいた。 

上記は、Clara が Robert の病状を、聞かされたときのことです。 打ちひしがれ、混乱している Clara の姿が目に映るようです。

その後、Robert のことを思うあまり、Clara 自身がうつ状態に陥り、転地療養をすすめられ、再度コンサートツアーに出たようです。 幸いなことに、一時的には、Robert は回復の兆しをみせ、Clara と手紙でやり取りをできるようになりました。 Clara は、Robert に面会したい旨を医師に相談しましたが、Robert の精神症状を悪化させる可能性が高いという理由で断られたようです。

しかし、Clara は、1857 年 7 月 23 日に Robert が危篤との連絡を受け取ったにもかかわらず、Robert に面会に行こうとはしませんでした。 Brahms にうながされるようにして、7 月 27 日の夕方に面会に行きました。 2年ぶりの再会でした。 Robert は、「私の Clara か、おまえのことだけはわかるぞ。」と言うのが精いっぱいで、「彼は私を見て微笑み、不自由な腕で私を抱きしめようとしてくれた。私はこの抱擁を世界のどんな宝物とも引き換えにはしない」と、Clara の日記には書かれているそうです。 Clara は、愛する夫の死という事実そのものを否定したかったのかもしれません。

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