Robert Schumann の指の故障と死因の謎(2)

2. 梅毒を治療しないと、どうなるの?

Robert Schumann が生きた時代には、梅毒に対する有効な治療法はない。 「治療しなかった場合どうなるか?」という情報が、謎を解く手掛かりになるからだ。 最近の教科書には載っていないので、いろいろと文献をあたってみた

 梅毒は性行為感染症で、性的接触によって感染がひろがる。 病原体は野口英世が発見したスピロヘータで、身体のどこにでも侵入して、その部位を養っている血管をダメにしてしまう。 血液の供給が途絶えた部分は、ダメになって崩れ落ちてしまう(壊死)。 なるほど、鼻が腐って落ちたりするわけで、確かに怖い病気だ。

梅毒に感染すると、最初の症状は、感染した場所(外陰部)に、下疳と呼ばれる赤い発疹が認められる。 この発疹はすぐに崩れ去って、無痛性の潰瘍を生じる。 感染箇所の周囲のリンパ節(身体の各所にある、小さな扁桃腺のようなもの)が腫れ上がることも珍しくない。 これらの症状は、4~8週間で自然に治ってしまう。 ここまでの時期を第1期と呼ぶ。 この時期は他人に対する感染力が非常に強い時期だ。 現代なら、すぐに病院に駆け込んで、ペニシリンなどの抗生物質で、すぐに治るわけだが、Robert Schumann の時代には抗生物質なんてないから、病気は進行していく。

第2期になると、外陰部のみならず、全身の皮膚粘膜に第1期と同様の発疹が出るようになる。 第1期と同様に自然に治っていくが傷痕がのこる。 この時期の発疹は、最も鮮やかな赤色をしていて、バラ疹と呼ばれる。 バラ疹は第2期を過ぎると見られなくなる。 第2期はおおむね2年続き、皮膚症状がある間は感染力がある。

第2期が終わると、症状は消えうせ、後期潜伏期(梅毒の場合は、感染してから発症するまでを前期潜伏期と呼ぶため)にはいる。 この時期は感染力がないし、症状もない。 幸いなことに、おおむね3分の2の梅毒患者は、この状態で一生を過ごすことができる。 ところが、残りの3分の1の患者では、悲惨な第3期に移行していく。

第3期は、下記の3つの状態がおこる。 もはや他人への感染性はない。
(1) 皮膚、骨および内臓の良性第3期梅毒
良性第3期梅毒では、ゴム腫とよばれる特有の腫瘍(正確には慢性肉芽腫)が、皮膚、骨、内臓にできる。 ゴム腫は次第になくなっていくが、その後に大きな瘢痕が残る。 病変部が崩れ落ちるといったほうが、適当でしょう。 たとえば、鼻がくずれたり、頬に穴が開いたりする。 骨におこれば、骨が崩れるわけで、非常な痛みを伴う。 骨が崩壊した結果として、時には、骨折を引き起こす。 内臓におこれば、当然ながら、その臓器の機能障害がおこる。 最も多いのは、胃病変で、嘔吐、食欲不振がおこる。 内臓病変がおこると、そこから、癌が発生することも珍しくない。
※ 他の2つと異なり致命的でないので、良性と呼ばれるが生き地獄と言った方が良さそう。
(2)心血管性梅毒
初感染後、10 ないし 25年後に発症する。 上行大動脈解離性動脈瘤,大動脈弁閉鎖不全をおこす。 ひとたび発症すれば死に至る。 現代の医学をもってしても死亡率は非常に高い。
(3) 神経梅毒
神経梅毒は、症状の有無により、症候性神経梅毒(症状あり)と無症候性神経梅毒(症状なし)とに分けられる。 症候性神経梅毒は、無治療梅毒患者のおよそ5%の患者におこる。
最初におこるのは、髄膜血管性神経梅毒である。 髄膜(脳や脊髄をおおう膜のこと)への病原体の侵入によって引きおこされる。 症状はさまざまで、頭痛、めまい、集中力低下、倦怠、不眠、視界のかすみなど。 侵された部位によっては、精神錯乱,てんかん様発作,失語症、身体の一部の麻痺(単麻痺、片麻痺など)もあり得る。 脳神経麻痺、瞳孔異常などもおこる。 また、肩と腕の筋肉の脱力と萎縮、あるいは、失禁などの膀胱症状を伴う進行性の両足の麻痺(対麻痺)もおこり得る。
引き続いておこってくるのが、実質性神経梅毒で、脳神経が直接侵され始めることによって引き起こされる。 進行麻痺は、主として 40 才代ないし 50 才代の患者にみられる。 発病は目立たず、行動・性格の変化が最初の症状として現れる。 過敏、集中力低下、記憶力低下、判断力低下、頭痛、不眠、および嗜眠状態が、目立つ症状である。 患者は、たいがい、衛生と身だしなみが悪くなる。 情緒不安定、無力感、抑うつ、および洞察力の欠落を伴う誇大妄想などもよくおこる症状だ。
病状が進行すると、口,舌,上肢ないし体全体のふるえ(振戦)、特徴的な瞳孔異常(アーガイルロバートソン瞳孔)などがおこる。 筆跡は、通常震えて読めなくなる。脊髄癆(運動失調症)は、脊髄が侵された場合の症状で、身体の各部位の疼痛、、麻痺や失調などがおこる。 最初の,そして最も特徴的な症状は、足の激しい,刺すような痛み(稲妻のような痛み)だ。 次いで、歩行が不安定になり、尿失禁などの膀胱症状をきたす。 男性なら、インポテンツになる。
神経梅毒は、死に至る病である。 進行麻痺や脊髄癆が進行すれば、食事を取ることはもちろん、動くことができなくなる。 呼吸中枢が侵されれば、呼吸も止まってしまう。 Robert Schumann の時代なら、食事を取れなくなった時点で、一巻の終わりだと思ってよい。

以上に挙げてきた神経梅毒の症状は、脳腫瘍や痴呆症などでもおこり得る。 しかし、アーガイル・ロバートソン瞳孔だけは、梅毒によってのみ引き起こされると考えてよい。 なぜなら、この症状は、脳底髄膜炎の時におこりうる症状で、他の病気でもおこり得るが、梅毒以外で脳底髄膜炎をおこすのは非常にまれだからだ。 つまり、アーガイル・ロバートソン瞳孔が認められれば、ほぼ間違いなく神経梅毒と診断できる。 アーガイル・ロバートソン瞳孔では、瞳孔が、遠近調節には正常に反応するが、光には反応しない。 瞳孔は小さく、左右差がある。

最後に、先天性梅毒について少し。 母親が梅毒だと、生まれてくる子供は、先天性梅毒にかかる可能性がある。 先天性梅毒では、各種の奇形が認められることがある。 幸いなことに、先天性梅毒の子供は、梅毒の母親から生まれた子供の5%程度にしか見られない。 また、ほとんどの場合、一生を梅毒との共存状態で普通の生涯を送ることができる。

さて、上記の情報で梅毒の特徴で、1.疑問の数々・・・であげてきた、疑問が解けるだろうか?

コメント