Zwickau での幼年時代 (1810 – 28)
生まれ故郷の Zwickau には、Robert の生家が Robert Schumann 博物館として、保存されています。
- 1810 年
6 月 8 日Robert 生誕父 Freiedrich August Schumann, 母 Johane Christiane (旧姓 Schnabel) のもと、Zwickau に生まれる。
- 1810年
Chopin もSchumann と同年生まれ。
Mendelssohn は、一年早く 1809 年生まれ。
Beethoven の交響曲は、このころ第6番まで - 1813年
Richard Wagner 生まれる。
Giuseppe Fortunino Francesco Verdi 生まれる。 - 1817年Robert(7歳ごろ)
ピアノの手ほどきを受け始める。
- 1819 年
9 月 13 日ClaraClara Josephine Wieck、Leipzig に生まれる。
- 1820 年~Robert(10歳~)
ギムナジウム時代。
出版業を営む父の影響もあってか、文学や詩に興味を示す。 音楽に対する才能もあり、自己流ながら合唱とオーケストラの ための賛美歌を作曲したほど。 - 1824年
Joseph Anton Bruckner 生まれる
Beethoven 交響曲第9番
Schubert 弦楽四重奏曲「死と乙女」D.810, アルペジオーネ・ソナタイ短調D.821 など。 - 1826年Robert (16歳)
父親が死去
- 1827年
Ludwig van Beethoven 死去
- 1828年Robert(18歳)
Gymnasium(高校)を卒業。
家族のすすめもあって、Leipzig の大学に進学 - 1828年
Frantz Peter Schubert が死去
Niccolò Paganini ヨーロッパ各地で演奏旅行、大成功をおさめる
Leipzig, Heidelberg での勉学時代 (1828 – 33)
法科に入学した Robert ですが、音楽への思いを断ちきれず、パガニーニの影響もあって、ビルトオーゾ・ピアニスト(超絶技巧をもったピアニスト)を目指します。 しかし、指の故障により作曲家への道を歩み始めます。 このころに、ピアノ教師の Wieck の娘(Robert にとっては恩師の娘)、天才少女ピアニストの Clara に出会います。
- 1828 年Robert(18歳)
家族のすすめもあって、大学では、法学を専攻するが 音楽への情熱は押さえがたく、Freidrich Wieck に ピアノを師事
- Clara(9歳)
Leipzig Gewandhaus にてピアニストとしてデビュー。
- 1829 年Robert(19歳)
5月より、Heidelberg に移る。 ピアノへ没頭した 生活をおくる。 コンサートを開き、好評を呈した。
- 1830年Robert(20歳)
3月の復活祭を Frankfurt で過ごし、「悪魔のバイオリニスト」 ともいわれた Paganini の演奏を聴く。 これが契機となり、 再三の母親の懇願にもかかわらず、法科を退学。 Freidrich Wieck にピアノを師事するため、Leipzig にもどる。
Abegg-Variationen op.1 für Klavier. - Clara(11歳)
Leipzig Gewandhaus にてピアノリサイタルを開催し、成功。
Berlioz 幻想交響曲 op. 14
- 1831年Robert(21歳)
作曲法を Heinrich Dorn に師事。 1日6~7時間をピアノの練習に 費やす生活。 右第2・3指の障害に気づき、治療を試みるがことごとく失敗する。
この指の機能障害は、(1) 進行性梅毒の初期症状 (2) 指の強化のために用いた器具による障害 などの説がある。
Papillons op. 2 fuer Klavier. - 1831
~ 32 年Clara(13歳)Paris, Leipzig などで、ピアノリサイタルを開催し、
各地で絶賛される。
Robert が作曲した曲が、そのコンサートで演奏される。 - 1833 年
5 月 7 日Johanes Brahms 生まれる。
- Robert(23歳)
指の障害もあって、憂鬱な日々を送る。
初回の自殺未遂事件(10 月)
Leipzig での活躍の日々 (1834 – 44)
作曲活動の傍ら、die Neue Zeitschrift für Musik(音楽新報)という雑誌の編集人となり、音楽評論を始める。 無名の新人だった Chopin を見いだしたのは、このころ。 一般に、同時代の音楽批評を、後世の視点から見た場合には、多くの誤謬が付き物ですが、Robert の音楽批評は、現代にも通用しえるといえよう。
初めて会ったときには子供だった Clara が成長して、Robert は、結婚相手として考えるようになるが、Clara の父に頑強に反対されるも、二人は裁判に訴えて結婚を勝ち取る。 Robert Schumann の短い生涯において、もっとも幸せだったひとときであろう。 この幸せの時に、珠玉のようなピアノ曲、歌曲、室内楽曲が多数生み出されている。
- 1834 年Robert(24歳)
die Neue Zeitschrift für Musik (以降、 NZfM と略す、 邦訳:音楽新報)を発刊、編集人となる。 Ernestine von Fricken が、Wieck にピアノを師事し、 翌年まで滞在。 Robert と Ernestine とが恋仲となる。 密かに婚約したという説もある。
Carnaval op. 9., Sinfonische Etueden op. 13 - 1835 年Robert(25歳) Clara(16歳)
Robert:
8月に Felix Mendelssohn と知り合う。 NZfM にて、初期の作品しか発表していない Chopin を 見いだし、「天才があらわれた」と紹介。 また、同誌にて Berlioz の幻想交響曲を紹介。 Ernestine との別離。
Klaviersonaten Nr. 1 fis-moll op. 11 完成Clara:
4 月に ドイツ各地からのコンサート旅行から帰り、 Robert と過ごす時間が増える。 11 月 25 日、Robert とのファーストキスカミーユ・サン=サーンス 生まれる
- 1836 年Robert(26歳)
母親が死去。
Clara への思いはつのるが、Clara の父 Wieck に拒絶 され、引き離される。父の命で、Clara が Robert の手紙 を送り返し、誤解を生ずるが、翌年まで、Clara に会えず。
Fantasie C-Dur op. 17 - 1837 年Robert(27歳)
Clara 18 才の誕生日に、Robert 再度、Clara の父に、婚約 を申し入れるが、失敗に終わる。
Davidsbuendlertaenze op. 6, Fantasiestücke op. 12 - 1838 年Robert(28歳)
数ヶ月を Wien で過ごす。 Franz Schubert の第9交響曲 ハ長調を発見。
Kinderszenen op. 15, Kreisleriana op. 16,
Noveletten op. 21 - 1839年Robert(29歳) Clara(20歳)
Clara と初めていっしょにクリスマスを迎える。 Berlin にて、幸せをかみしめる日々。
Kraviersonate Nr. 2 g-Moll op. 22, Humoreske op 20
Faschingsschwank aus Wien Fantasiebilder für Klavier
op. 26, Drei Romanzen op. 28 - 1840年Robert(30歳) Clara(21歳)
Robert: 「歌曲の年」
Universität Jena より、Ehrendoktorat(名誉博士号)を 授与される。 9 月 12 日 Clara と結婚。
Liederkreis op. 24, Myrthen op. 25, Liederkreis op. 39,
Frauenliebe und -leben op. 42, Dichterliebe op. 48.Clara: 6 月に Leipzig にもどる。 7 月には裁判所から 父の承諾なく結婚できることを認められる。 9 月 12 日 (誕生日の前日、20 才の最終日)に結婚
Pyotr Ilyich Tchaikovsky 生まれる。
Niccolò Paganini 死去 - 1841年Robert(31歳) Clara(22歳)
Robert: 「交響曲の年」
Sinfonie Nr. 1 “Frühlingsinfonie” B-Dur op. 38, Sinfonie Nr. 4, op. 120 の初校などClara: 3 月に Gewandhaus で、Clara Schumann としての 初のコンサートを開く。 第一子(長女)出産(Marie 1841 – 1929)
Dvorak 生まれる
- 1842年Robert(32歳) Clara(23歳)
Robert: 「室内楽の年」
Klavierquintett Es-Dur op.44, Klavierquartett Es-Dur op. 47, Fantasiestücke für Klaviertrio op. 88 - 1843年Robert(33歳) Clara(24歳)
Robert: Mendelssohn が Schumann 夫妻を訪れる。 Robert、12 月に指揮者としてデビュー
Das Paradies und die Peri op. 50Clara: 父との和解、第二子(二女)出産(Elise 1843 – 1928)
Wagner が Dresden の宮廷指揮者に就任
- 1844年Robert(34歳) Clara(25歳)
Clara と共に、ロシアへの演奏旅行に出る。 帰国後も、精神状態が安定せず、Dresden に 転地療養に出る。 12 月に家族ごと転居。
Dresden での活躍の日々 (1844 – 50)
幸せの時をかみしめる Schumann 夫妻であったが、Robert の精神障害が発症し、その転地療養先だった Dresden に転居することとなる。 合唱曲などの作曲を続ける一方、指揮者としても経験を積んだ。 1850 年には、Düsseldorf 歌劇場の音楽監督として、招かれることとなる。
- 1845年Robert(35歳) Clara(26歳)
Robert: 精神状態は落ち着かないものの、活動を開始。 Clara を独奏者に、Klavierkonzert a-Moll op. 54 を初演。 Wagner と親しくなる。 Tanhaeuser に感動する。
Clara: 第三子(三女)出産(Julie 1845 – 1871)
- 1846年Robert(36歳) Clara(27歳)
Robert: 健康状態は小康状態を保つ。
Sinfonie Nr. 2 C-Dur op. 61Clara: 第四子(長男)出産(Emil 1846 – 1847)
- 1847年Robert(37歳) Clara(28歳)
Robert: 生まれ故郷の Zwickau にて、第1回 Schumannfest 開催 される。
Klaviertrios d-Moll op. 63 und F-Dur op. 80Clara: 第四子(長男)1 才 4 カ月が死去。
夫妻の友人作曲家 Mendelssohn 死去。
- 1848年Robert(38歳) Clara(29歳)
Robert: Oper Genoveva op. 81, Album fuer die Jugend op. 68
Clara: 五子(二男)出産(Ludwig 1848 – 99)
- 1849年Robert(39歳) Clara(30歳)
Robert: Konzertstueck fuer 4 Hoerner und Orchester, F-Dur, op. 86,
Konzertstueck fuer Klavier und Orchester, G-Dur, op. 92,
Waldszenen op. 82, Requiem für Mignon op. 98b
など、室内楽小品、合唱曲小品など多数Clara: Clara: 第六子(三男)出産(Ferdinand 1849 – 91)
Dresden にて革命勃発: 「1848年革命」の終局を飾る出来事
Frédéric François Chopin が死去
- 1850年Robert(40歳) Clara(31歳)
Düsseldorf Musikdirektor の職を得て、Düsseldorf に転居。
Düesseldorf での活躍の日々(1850 – 54)
Düesseldorf の音楽監督に就任後、第3交響曲「ライン」(Op. 97)を完成させ、一時は、精神障害も小康を得たかに見えたが、精神障害は悪化の一途をたどった。 指揮者としては徐々に聴衆や楽団員の信望を失い、次第に世間から身を引く生活にはいる。 1853 年に Brahms の来訪を受け、かつては自らが編集人であった、die Neue Zeitschrift für Musik(音楽新報)に、Neue Bahnen(新しき道)と称して、Brahms 礼賛の投稿を行い、Brahms を世に知らしめた。
- 1850年Robert(40歳) Clara(31歳)
Robert: 9 月に、Dueesseldorf へ転居
Sinfonie Nr. 3, Es-Dur op. 97 “Rheinische”, Cellokonzert a-Moll op. 129, - 1851年Robert(41歳) Clara(32歳)
Robert: 精神状態は、悪化の一途。
Der Rose Pilgerfahrt op. 112, Kraviertrio g-moll op. 110, Violinsonaten a-Moll op. 105 und d-Moll op 121, Sinfonie Nr. 4 d-Moll op. 120(改稿)Clara: 第七子(四女)出産(Euginie 1851 – 1938
- 1853年Robert(42歳) Clara(33歳)
Robert: 4 月から 12 月まで、精神状態は一層悪化。
die Gedichte der Koenigin Maria Stuart op. 135, Messe op. 147, Requiem op. 148 - 1854年Robert(43歳) Clara(34歳)
Robert: 精神状態はさらに悪化。 Brahms 来訪。 自分がかつて編集していた die Neue Zeitschrift für Musik(音楽新報)に、Neue Bahnen(新しき道)と 称して、Brahms 礼賛の投稿を行う。
Konzert-Allegro mit Introduktion für Klavier und Orchestrer op 134
年以降(1854 - )
精神障害はさらに悪化。 1854 年には、ライン河に投身自殺を図る。 幸い、一命を取り留めたものの、そのまま精神病院に収用され、 シューマンの死後、生涯独身で過ごしたブラームスと未亡人クララとの間に30年にわたり続いた友情も有名である。
- 1854年Robert(44歳) Clara(35歳)
Robert: 精神状態は悪化の一途をたどり、2 月 27 日ライン河に
投身自殺を図る。 救出されたが、Köln 郊外の Endenich の精神病院(脳病院)に収用される。Clara: 第八子(四男)出産(Felix 1854 – 1879)
- 1855年Robert(45歳) Clara(36歳)
Robert: 精神病院収容後、Robert は回復の兆しをみせ、会話や 書字等も可能となり、Clara とは手紙でやりとりをする。 しかし、回復は一時的で、次第に全身の麻痺が進行し、 けいれん発作も頻発するようになる。
- 1856 年
7 月 29 日Robert(46歳)Robert 死去
- 1860年タイトル
Gustav Mahler 生まれる
- 1862年タイトル
Claude Achille Debussy 生まれる
- 1867-8年タイトル
Bruckner ミサ曲第3番を作曲
- 1873年
10月6日Clara (53歳)父 Firedrich Wieck 死去(享年 88歳)
- 1876年タイトル
Brahms 交響曲第1番
- 1887年タイトル
Bruckner 交響曲第8番
Brahms が賞賛し、楽譜を手に入れる - 1892年タイトル
Bruckner 詩編第150番
- 1896年
5月20日Clara (76歳)Frankfurt am Mainにて、脳出血のために死去
Robert とともに Bonn Alter Friedhof に埋葬される。 - 1897年
4月3日タイトルJohanes Brahms 死去

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