目覚めのころ (98/2/16 記)
 

私は、外で一日遊ぶと一週間風邪でねこむような子供であった。 その当時の記憶はあまりないが、通いつけた小児科の先生とは、今でも年賀状のやりとりをしているぐらいだ。 スポーツ万能の父親はこれを悲しんだが、どうこうなることでもない。 必然的に、私の興味は、室内でできることに向かったのだと思う。 昭和 40 年代初頭、幼稚園でのお稽古事といえば、スポーツ教室とオルガン・ピアノ教室と相場が決まっていた。 私はオルガンを習い始めたそうだが、先生の薦めで、ピアノに変更したらしい。 公務員だった父・母の給料は、当時 \15,000 ぐらいだったらしいが、ピアノは、\200,000 もしていたようだ。 それにもかかわらず、父は私にピアノを買い与えたらしい。 月賦をまかなうために、亡き父はアルバイトをしていたと、最近母からきいた。 父の決断がなければ、私も音楽に興味を持つこともなかっただろうし、このホームページが生まれることもなかっただろう。 私も2児の父になってしまったが、娘たちにそれだけの愛情を注いでいるかと問われると、答えに詰まってしまう。 私なら、娘たちにピアノを買い与える代わりに、自分のパソコンを買ってしまうに違いない。

閑話休題。 上達は遅かったものの、私は、ピアノのレッスンをずっと続けていた。 中学ぐらいのころには、まがりなりにも、ベートーベンの「悲愴ソナタ」だとかに手を出す程度の腕にはなっていた。 ところで、中学校に入ると、技術家庭科なる授業がはじまる。 アルミ板を切ってちり取りをつくったり、ラジオの制作をしたり... というのが、その内容であるが、私は、それに、すっかりはまってしまった。 私よりもう少し上の年代の方なら、ハムの無線機やラジオなどを自分で作る人たちがゴロゴロいたようだが、私ぐらいの年代だと、そういうのは少数派だ。 幸いな(?)ことに、私の友人には、真空管でラジオやアンプを作ったり奴がいた。 彼は、小学校時代には、私をいじめてばかりいた(そういうことは、不思議と覚えている ^^)が、中学校にはいってからは、この趣味で、良い友達になった。 彼は、[6W-C5] - [6C6] - [6Z-DH3A] - [6Z-P1] ← [12F] といった構成の真空管式の5球スーパーラジオを作っていた。  彼のラジオは非常に格好良くみえた。 確か、何かの展示会で、彼は賞を取ったぐらいだ。 私のほうといえば、彼に対抗しようと思ったのか、もっぱらトランジスタで、何かを作ろうとした。 「ラジオの実験」誌を買っては、2SB54 とか 2SB56 なんていうゲルマニウムトランジスタで、ラジオを作ったり、インターフォンを作ったりしていたように思う。 ところが、ゲルマニウムトランジスタは、熱に弱い。 私みたいな初心者がはんだづけをすると、はんだ付けががすんだころには、ゲルマニウムトランジスタの方が既に昇天していた、なんてのがざらで、まともな完成品を作れた思い出がない

3才にして神童と言われても、大きくなったらただの人になってしまうのは、良くあることらしい。 もともとそれなりだった私は高校に入って、成績は急降下した。 それにもかかわらず、ピアノのレッスンを続けていた私は、ショパンのエチュードやリストにも手を出せるようになっていた。 その程度なのに「音大を目指そうか?」なんて、馬鹿な考えをもつ。 もちろん、世の中そんなに甘いはずはない。 井の中の蛙だった私は、すぐに、自分が音楽で食べていけるほどうまくないことに気がついた。 ピアノのレッスンに気乗りがしなくなったのは、まさに、このころ。 そして、音楽への興味が、演奏することから聴くことに、大きく変わっていった。 残念なことに、当時の私の家には、ファミリーステレオというのか、形ばかり大きくて、音は今のミニコンポより、はるかにひどいものしかなかった。 先に出てきた中学校時代の友人の薦めで、自分でアンプを組むことを考え、お年玉貯金で、最初のステレオセットを組み始めた。

持ち前の(?)すぐに何かにのめり込む性格のおかげで、学業成績は低下の一途をたどったが、ステレオセットのほうは、順調にできあがっていった。 最初の作は、オペアンプの 741 をプリアンプに用い、パワー段には LM386 を用いたセット(2 W + 2 W ぐらい?)+ ジャンクのスピーカーである。 もちろん、本来の Hi-Fi から程遠いものである。 音はひどいものであったが、それでもファミリーステレオよりましで、本人はご満悦であった。 この制作から得たものは、音そのものより、アースの引き回しのテクニックなどの実装技術の基本を学んだことだと思う。

Audio system (3k)

初めてのシステム(1978 年ごろ)

すぐに私は、もう少し本格的なセットを組み始めた。 当時、high throughrate といわれたオペアンプの LF-356 を利用したプリアンプと、30 W + 30 W 程度の IC パワーアンプだ。 スピーカーは、40リットルぐらいのバスレフ箱にフォステクスの6半(FE-163)をいれた。 LP プレーヤーは、SUNSUI SR-323 (ベルトドライブの製品)をバーゲンで手に入れ、カートリッジは、オーディオテクニカの安物(AT-10G)だ。 恐ろしいことに、フロントエンドのキットを用いた FM チューナーまで、自作し、AKAI のカセットデッキとつないで、エアチェックもできるようになった。  高校2年の終わりごろには、何とか音楽を聴くことができるシステムになっていた。 残念ながら、音質をどうこういえるレベルではないが。

ところが、とある事件のおかげで、このシステムは一瞬のうちに崩壊する・・・。

(to be continued...)

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