リーダークライス Op. 39 について | (99/3/14 掲載 3/21 改定) |
掲示板でおなじみの ABEGG 伯爵 からいただいた文章です。
昨晩、改めて魚屋さんと白井さんの op.39 を聴いてみました。 2人のとっている調性について、昨日の私の書き込みは正確ではありませんでした。 白井さんは、全部の曲を長2度下げて歌っています。よって、「第1曲から第2曲への 平行調への移行」 は聴くことができます。 一方、ディース カウ氏のは、原調のまま、長2度下、短3度下、の3種類が入り混じっています。 第3曲は原調で歌っているので、「第3曲 Waldesgespraech の ホ長調からハ長調へ突然の転調」は聴くことができます。 原調、および2人のとっている調性を表にすると、
No | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
原曲 | fis | A | E | G | E | H | e | a | E | e | A | Fis |
白井氏 | e | G | D | F | D | A | d | g | D | d | G | E |
魚屋氏 | fis | G | E | G | Des | A | e | g | E | e | A | Fis |
第1曲と第2曲は平行調で、それぞれ主和音で終わり、主和音で始まりますから、第1曲がラドミの和音で終わると 第2曲がドミソの和音で始まるのです。これはとても美しい効果がありますが、魚屋さんでは聴くことができません。魚屋さんは、原曲E-durの Mondnacht を Des-dur (まさか Cis-dur のつもりじゃないでしょう。)という♭5つのとんでもない調で歌っています。原曲では、第6曲の終わりの音と、前奏なしで歌い始める第7曲の冒頭が同じ音なのですが、魚屋さん では違う音になってしまいます。
原曲の調で歌えるのがベストだと思いますが、キーを下げる場合、魚屋さんと白井さんの調選択に関 しては、高い音域が出現するいくつかの曲のキーを下げた魚屋さんより、全部の曲を長2度ずつ下げた白井さんの方が、より原曲の調性を重んじていると言えると思います。 白井さんの方が賢い選択をしているという結論でした。 op.39は fis-mollで始まり Fis-durで閉じます。 円環 kreis をなして終わるとともに、リートの世界にも、ベートーヴェン的な「苦悩から歓喜へ」の理念を 取り入れたのでしょう。 シューマンはピアノソナタでも同じ試みをしていますね。
と書いたのですが、実は問題がありました。42年の初版ではニ長調の「楽しい旅人」(op.77-1)が第1曲となっていたので、 fisから Fis へというプロットが、最初からシューマンの頭にあったわけではない、という事実があります。 改訂の結果として、上に書いた事が現れたのであって、シューマンの意図としてそれ があったというには無理がある かもしれません。
読んでいたら、自分の文章に対して解説を加えたくなってしまったので、またまたop .39について。
>原曲では、第6曲の終わりの音と、前奏なしで歌い始める第7曲の冒頭が同じ音なの ですが、魚屋さん では違う音になってしまいます。
第6曲「Schoene Fremde」は、この曲集の前半にあって、もっとも「ざわめき、おののく」昂ぶりをみせますが、調性もロ長調、♯5つまで5度圏を昇ります。文字どおり「燃えるように」曲を終えますが、そのロ音を残り火のごとくに受け取って、第7曲「Auf einer Burg」が、前奏なしに静かに歌われ始めるのが絶妙と感じられます。それが、F-D氏の調選択では聴けない、という訳です。第7曲では、調もホ短調♯1個、ないし転調してハ 長調と一気に単純になります。速度指定は、この曲だけ、Adagio とイタリア語になっているのが興味深いです。曲集の前半と後半を分けるターニングポイントとなっている曲だと思います。 ちなみに第12曲「Fruelingsnacht」は、嬰へ長調で♯6個、第6曲の5つを上回ります。この嬰へ長調という調性が、曲集を締めくくるこの曲になんともふさわしく感じられます。
私の聴いたCDは、 魚屋さん、白井さん、Mathis, Schleier の4種です。この中では Mathis と Schleier の2人が原調で歌っています。表現の上では、白井さんが一番好きです。これと、原調で聴ける Mathis さんのCDが、私のお気にです。
Mondnacht では、E-H-E の下降音型を聴きたいと思うAbegg でした。