Kreisleriana, Op. 16 | (98/4/25 記) |
Kreisleriana (クライスレリアーナ、Op. 16)は、R. Schumann のピアノ曲の中でも、最高傑作のひとつに数えられる曲でしょう。 この作品は8曲の小曲からなっており、Chopin に献呈されています。
シューマンらしいモチーフのタペストリを楽譜上で追うことは、今回は止めにしておきましょう。 作曲家別名曲解説ライブラリー (23),シューマン(音楽之友社)では、クライスレリアーナには、全曲を統一する根本的なモチーフ(根本要素)が存在するが、『あまりに変化に富んだ主題形姿が生まれてくるので、関連は用意にはわからない』と記載されています。 しかし、この解説での関連性を、実際の演奏上で、どのように生かすかという点で、大きな疑問を感じます。 むしろ、この作品のもつ叙情性−−−歌曲のような物語性に、大きな魅力を感じてしまうのです。 そして、『テクニックより叙情性』というシューマンのもうひとつの側面が、この曲で初めて、花開いたように思えてならないからです。 この側面は、クライスレリアーナ以前に作曲された作品でも、ときおり見え隠れしておりました。 例えば、Fantasiestcke の後半の4曲が、そのよい例だと思いますが、曲全体をまとめきれるほどの流れにはなっていないようです。
譜例1
右手は三連符の連続である。 左手の伴奏のスタカート、スラーにも留意したい。
譜例1には、第1曲の冒頭を示しました。 わき起こるような音の渦で、曲が始まります。 この冒頭に魅力を感じて、この曲の虜になってしまう人は少なくないでしょう。 聴いた感覚で、第1曲が4分の2拍子だと感じとることは、非常に難しいのではないでしょうか。 スラーとスタカットとアクセントの織りなす、不思議な魅力もたまりません。 6 Intermezzi Op. 4 では、副付点音符といった、リズムを正確に取ることが困難でしたが、その微妙さが魅力になっていました。 しかし、クライスレリアーナでは、同様な魅力を感じさせられるにもかかわらず、リズムをとること自体は容易で、シューマンの非凡な才能と巧みさを、改めて感じさせられます。
第2曲は、第1曲とは対照的に、ゆったりとした感じで始まります。 以降、奇数番目の曲は激しく鮮烈で動的なイメージ、偶数番目の曲は憂鬱に沈んで静的なイメージを意図しているようです。 第2曲の Intermezzo I の冒頭を譜例2に示しましたが、この左手のスタカート(赤丸)を見てください。 このスタカートが、いかにも繊細なシューマンらしい指定です。 こういうスタカートをきちんと弾きこなしていない演奏は、誰がなんと言おうと、私は認めません。
譜例2
赤丸のスタカートに留意
第3曲の冒頭を譜例3に示します。 冒頭は、三連符+八分音符のスタカットという、強迫されたリズムで開始されます。 このリズム自体は、シューマンらしいリズム構成といえましょう。 この第3曲では、このリズム構成を構成する音程成分だけが、再度出現してきます。 このような変容形式は、これ以前の作品には見られなかったものですが、この曲の後には、よくみられるようになります。 この意味で、Kreisleriana は、シューマンの特色を最大限に活かした最初の作品ということができるでしょう。
譜例3
赤丸のスタカート、青線の三連符に留意。
この後の小曲にも、これまで書いてきた特色が見え隠れします。 みなさんが自分で見つけて、微笑んで(ほほえんで)くださることを期待したいと思います。 ここではもうひとつ、気がついたことを書き添えておきましょう。 それは、第7曲と Op. 35-11 "Wer machte dich so krank?"(誰が、おまえを傷つけたのか?) という歌曲との関係です。 譜例4と5に、気がついた部分を抜き書きします。 拍子が違いますが、同じ旋律が、調を変えて出現していることが、おわかりいただけるでしょう。
譜例4
Creisleriana 第7曲の間奏部
譜例5
Op. 35-11 の伴奏の一部
それともうひとつ。 第8曲の曲想について触れておかねばならないでしょう。 第8曲は、この作品の終曲にあたるわけですが、曲想が第1〜7曲とは極端に異なっています。 このような終曲での突然の曲想の変化は、Fantasiestcke Op. 12(幻想小曲集)、Kinderszenen Op. 15(子供の情景)でも、同様であり、この時期、すなわち 1837 - 8 年のシューマンの特徴の一つかもしれません。
さて、おすすめの録音ですが、この曲は有名な曲なので非常にたくさんの録音があります。 私が手にしているのは、20 数種類だけなので、私が知らない名演奏がたくさんあることでしょう。 私が聴いた中で、お勧めできる演奏としては、館野泉(Canyon PCCL00355)、仲道郁代(BVCC-1090)のおふたりをあげたいと思います。 館野泉が端正な演奏で好感がもてる一方で、仲道郁代は求心的な演奏で、やはり面白いと思います。 仲道郁代の録音は、どこが良いと具体的に言えるところがありませんが、その一方で、批判的に聴いても、どこが悪いということもいえません。 とにかく、不思議とひきつけられる演奏です。 この他には、イブ・ナットやホロヴィッツの名前を挙げなければならないのかもしれません。 しかし、前者は、この人にしては出来が悪い感じがしますし、後者は単調で面白さを感じとることができません・・・。