Davidsbndlertnze, Op. 6 (98/12/12 記)
 

Davidsbndlertnze Op. 6 は、18 の小曲からなりたっています。 作曲されたのは 1837 年で、翌年の 1838 年に Florestan und Eusebius の名前で、初版が出版され、1851 年には、作曲者自身による改訂版が出されています。 私の手元にある Breitkopf の楽譜では、両方の版が併記されています。

この曲は、作品番号は 6 番になっていますが、作曲された年代からすると、謝肉祭 Op. 9 の翌年、子供の情景 Op. 15 の前年になっています。 それなのに何故 Op. 6 なのか。 第1曲の冒頭には、Clara の Soires musicales Op. 6 の第5曲の冒頭のモティーフが用いられています。  この作品が作曲されたころは、まだ Robert と Clara とが結婚できるかどうかわからない時期なので、おそらく、Clara との連帯を表そうとして、同じモティーフが用いられている Clara の作品と同じ番号を、わざわざつけたのではないかと、私は勝手に思っています。

広く知られておりますように、Davidbndler (ダビッド同盟)は、シューマンの頭の中に存在した音楽同盟で、旧来の慣習にとらわれた俗物たちの音楽と戦い、真に優れた芸術音楽を擁護する人々の集まりです。 同盟員には、Clara や Chopin もおりますが、Robert 自身は、Neue Zeitshrift fr Musik (音楽新報)では、Florestan, Eusebius などの同盟員の筆名で、各種の音楽論・作品批評を展開しております。 この曲ではFlorestan と Eusebius の名前が出てきますが、ダビッド同盟員の名前が出てくる曲は、この曲が初めてではなく、この曲より前に作曲された謝肉祭 Op. 9 にも見受けられます。 このことについては、いずれ Op. 9 の解説で触れたいと思います。 Davidsbndlertnze Op. 6 では、Robert の積極的で動的な側面を表す Florestan と穏やかで瞑想的な静的な側面を代表する Eusebius が出てきます。 Floresntan が陽気で楽天的で「昼の明るさ」なら、Eusebius は悲観的・悲劇的で「闇夜の暗さ」といった具合です。 私は、この曲の Florestan に、是が非でも生に執着しようとする Robert の精神世界の一面、Eusebius彼岸への憧憬をも感じてしまいます。

さて、初版と改訂版の違いですが、一番異なっているのは、初版では、Florestan あるいは Eusebius の署名がそれぞれの小曲の最後についていることでしょう。 これらの曲は、9曲ずつ、第一部・第二部に分けられていますが、各部の最後の曲には、署名がありません。 また、第二部の7曲目(最初から数えると第16曲目)も、署名がありませんが、この曲は、前の曲と明らかな境目がつけられておりませんので、Florestan と Eusebius 両方の曲と考えられます。 実際、曲想は、両方だと思います。

  1. Florestan und Eusebius
  2. Eusebius
  3. Florestan
  4. Florestan
  5. Eusebius
  6. Florestan
  7. Eusebius
  8. Florestan
  9. (記載なし)
  10. Florestan
  11. Eusebius
  12. Florestan
  13. Florestan und Eusebius
  14. Eusebius
  15. Florestan und Eusebius
  16. (記載なし)
  17. Florestan und Eusebius
  18. (記載なし)
改訂版ではこれらの署名は除去されています。 曲それ自体に関しては、Impromptus fr ein Thema ber Clara Wieck (op. 5) のように、大幅な改定があるわけではありません。 和音の構築や繰り返しが異なっていたり、小曲の終止に至る展開が若干異なるのみです。 Op. 5 ほどの違いはありませんが、演奏効果という点では、改訂版が優れているように思います。 しかし、改訂版が繰り返しの多さゆえに散漫さを感じとる向きもあるようで、演奏者によっては、初版と改訂版とを混合して演奏している例もあります。

シンコペーテッドなリズム構成や、アクセントを多用して本来の強拍・弱拍からのずれをねらった Robert らしい特徴は、この曲でも認められます。 しかし、それらの解釈は、まぎれることに乏しく、容易と思われます。 また、リズムを性格に刻むことさえもが難しい、初期作品の佳品 Intermezzo Op. 4 と比較すれば、テクニカルにも平易(もちろん比較の問題ではありますが)でしょう。 このようなことから、この曲の聞きどころは、Florestan 的な曲想と Eusebius 的な曲想の弾き分け・・・といった、どちらかというと情緒的な側面になりましょう。 もちろん、Florestan も Eusebius も同一人物の異なる側面を表しているので、奥底に流れる情景には同一性があるわけですが。 この意味で、LP/CD の演奏の良し悪しを判断するのは困難で、演奏者の作り出した Florestan / Eusebius のコントラストや、Florestan / Eusebius への演奏者の思い入れとそれに対する聴き手の共感といった要素が、この曲の演奏の評価を決定づけるような感じがします。 唯一の論外な演奏は、Florestan / Eusebius の弾き分けがなされず、演奏家の個性を聴くしかない演奏ということになりましょうか。

けっこう有名な曲なので、私の手元にも 12 枚ほどの LP/CD があります。聴き手によって、大きく評価が異なる・意見が割れる曲だと思うのですが、私の好みで挙げれば、館野泉の演奏(Canyon PCCL-00235)が白眉の逸品といえます。 Florestan / Eusebius の弾き分けも十分で、それぞれの側面の描出も素直なように思います。 館野の演奏が、あまりに淡々と曲を勧めているとお嘆きの方には、Clara の直弟子の Fanny Davis の演奏(廃盤: Pearl GEMM CD-9904)はいかがでしょうか。 また、Jrk Demus の演奏は、感情に流されがちな印象をぬぐいされませんが、この曲の特質に合致しているように思えます。 なお Clara の原曲は、Konstanze Eickhorst の名演奏で入手可能(CPO 999 132-2)です。 みなさま、自分のお気に入りの演奏家でお聞きくださいませ! (^^)(^^)(^^)

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